takashima 
ekidan

blog ブログ

scroll

高島易断

“靖国参拝と玉子丼”

2026.01.29

靖国神社参拝のきっかけになったお話をします。

特攻の母と呼ばれた島濱トメさんをご存知ですか?

鹿児島県知覧町で富屋食堂を営んでいた方です。

 

このお話は戦時中、知覧で整備兵をしていた方から

聞いた話です。

知覧町は田舎で地元の客は少なく、富屋食堂は軍の

関係者ばかりの食堂で、経営は大変苦しかったようです。

 

特攻前夜は、富屋食堂に行き最後の晩餐が

行われます。

トメさんは隊員達に少しでも美味しい物をと

家財道具を売って玉子丼を提供していました。

戦時下では、玉子は大変高価なものだったようです。

 

特攻隊員達は19歳から21歳前後の方が多かった。

隊員達は泣きながら食べていたようです。

トメさんも泣きながらまかなっていました。

トメさんも隊員達も交わす言葉もなく、

その光景が忘れられないとおしゃっていました。

 

当時の軍の規律、特に手紙の閲覧は厳しく

隊員と家族の最後の手紙は勇ましい内容のものばかり

でした。

 

家族や愛する人への本音の手紙はトメさんに

そっと預けていました。

預かった手紙は、トメさんが一筆添え送っていたようです。

所在不明や空襲で亡くなった方には届けられず、

その手紙がトメさんの手元に残りました。

トメさんの添え書きにはお国のためとか、

立派な最期をとげた等の文言は一切入っていません。

「よがにせさあ おごが惚れるようなええ子じゃ」 鹿児島弁

「男が惚れるような素敵な男性」という意味です。

鹿児島弁で書いてある一節「とてもいい子だったではなく

とてもいい子です」と書いてあります。

トメさんなりに残された人への気遣いが感じられます。

 

帰って来ない隊員に陰膳をしたり、軍に見つからないよう

(特攻隊員の士気に関わる)滑走路の片隅で

手を合わせるトメさんの姿を何度も見たそうです。

 

隊員達はどんな思いで玉子丼を食べていたのだろうか?

涙が出るほど美味しかったのか?

それとも……

 

戦時中日本だけではなく、たくさんの国でたくさんの悲しい

出来事があったと思います。

もう戦争をしてはいけない。

 

靖国神社にある八千代食堂は、鹿児島県知覧町に

あった富屋食堂のトメさんが作っていた玉子丼の割り下を大事に80年以上守り続けています。

この話を風化せず後世に語り継ぎ、おろかな戦争を

繰り返さない。

世界中が平和でありますように、私はそんな思いで

靖国参拝に行き玉子丼を食べ続けます。

高島龍慶

配信情報

インスタグラム

高島易断ではインスタグラムによる配信も行っております。
公式インスタグラム 【takashimaekidan_official】
ぜひご覧ください。

お問い合わせ